ダラ主婦の毎日がエブリデイ

日記がわりの記録。なんでもかんでも。

誕生日の思い出

うちの息子は知的障害を伴う自閉症です。

今日はそんな息子の誕生日の思い出について書いてみようと思います。


息子は3歳から発達センターに通い療育を受けていました。通い始めた頃はまだ自閉症との診断を受けておらず、もしかしたらある日突然普通に喋り出すのではないか、何も問題はないと言われるのではないかと淡い期待を持っていました。


そんなある日、センターに通う他のお子さんのお誕生日会が催されました。

みんなでケーキを囲んでハッピーバースデーの替え歌を歌うのですが、


「おめでとうハッピー

ありがとうラッキー

〇〇くんの生まれた日

素敵な誕生日」


なぜこんな替え歌を歌うのか正直分かりませんでした。普通にハッピーバースデーの歌じゃダメなの?でもその時はあまり深く考えませんでした。その後も毎月誰かのお誕生日会の時にその歌は歌われました。


月日は流れ、他のお母さん方とも仲良くなり、お互い悩みを話し合ったりセンターの先生の話を聞いているうちに、私は徐々に息子の障害を受け入れることが出来てきました。


そして自閉症との診断を改めて受けた日、「やっぱりそうですよね」とすんなり受け入れることが出来ました。

家に帰って少し泣きました。

いつか普通に喋り出すかもしれない、という私の淡い期待は消え去りました。それでも今まで可愛いと思って育てて来た息子への気持ちは変わらず、この子のために出来るだけのことをしようと心に決めました。


そんな中、療育センターで息子のお誕生日会が開かれました。


「おめでとうハッピー

ありがとうラッキー

〇〇くんの生まれた日

素敵な誕生日」


息子の障害を受け入れた後に聞くその歌は、単なる替え歌ではなくまるで違ったものに聞こえました。


「どんな障害を持っていようと、あなたが生まれて来てくれたことが嬉しい」


「どんな障害を持っていようと、お母さんたちのもとに生まれて来たこと、そして心から誕生日を祝ってもらえることは幸せ」


「息子がこの世に生を受けた日、今まで親子で歩んで来た道、そしてこれから歩んで行く道、正真正銘の素晴らしい日々」


私にはそんな風に聞こえて涙が止まらなくなりました。

短い短いハッピーバースデーの替え歌に、こんな深い意味があったなんてと思えた瞬間でした。


あれから16年経ち、今息子は20歳の青年になりました。悩みは尽きないものの今は作業所に通い毎日楽しそうにしています。


私たちの歩んで来た道、そしてまたこれから歩んで行く道は決して平坦な道ではありませんが、時折あのハッピーバースデーの替え歌を思い出してこれからも一歩一歩息子と歩んで行きます。