ダラ主婦の毎日がエブリデイ

日記がわりの記録。なんでもかんでも。

おはじき

夕方ドラえもん(のジャイアン)を観ていてふと自分の子どもの頃の出来事を思い出した。


小学生の私はおはじきが得意だった。おはじきのルールは最初にお互い同じ数のおはじきを出し合って、一回おはじきを成功させればそのおはじきが貰えてまた続けて出来る。

強いと相手に一度も順番を回すことなくおはじきを総取り出来る。

それで私はいつも山ほどおはじきを持っていた。


クラスに目立たない女の子がいた。大人しくて友達は多分1人もいなかった。何がきっかけだったかは覚えていないけれど、その子とおはじきをすることになった。

その子のおはじきを容赦なく総取りした。


その後もその子はおはじきをしようと誘って来た。子どもだった私は手加減を知らずに毎回その子に順番を回すことなくおはじきを総取りした。それでもその子は嬉しそうにニコニコしていたことを覚えている。


その子の家は兄弟姉妹が多くあまり裕福な家ではなかった。おはじきだってタダではない。私に取られることを分かっていて、どんな気持ちでいつも私におはじきを挑んで来たのだろう。ニコニコしていたその子の顔しか思い出せない。


そのうちその子はおはじきに誘ってこなくなった。言葉は悪いがその子から巻き上げたおはじきはかなりの数になった。そして私はその子と仲良くなるわけでもなくおはじきの切れ目が縁の切れ目。2度と遊ぶことはなかった。


大人になった今、後悔しかない。

友達のいなかったその子は、おはじきを取られることが分かっていても誰かと一緒に遊べることが嬉しかったのではないだろうか。私はもっとやりようがあったのに。

大人になったから分かる。

手加減するも良し。

おはじき以外で遊ぶも良し。


今その子がどうしているかなんて全然分からないけれど、きっと何があってもニコニコしていられる人になっているとなんとなく思う。


誕生日の思い出

うちの息子は知的障害を伴う自閉症です。

今日はそんな息子の誕生日の思い出について書いてみようと思います。


息子は3歳から発達センターに通い療育を受けていました。通い始めた頃はまだ自閉症との診断を受けておらず、もしかしたらある日突然普通に喋り出すのではないか、何も問題はないと言われるのではないかと淡い期待を持っていました。


そんなある日、センターに通う他のお子さんのお誕生日会が催されました。

みんなでケーキを囲んでハッピーバースデーの替え歌を歌うのですが、


「おめでとうハッピー

ありがとうラッキー

〇〇くんの生まれた日

素敵な誕生日」


なぜこんな替え歌を歌うのか正直分かりませんでした。普通にハッピーバースデーの歌じゃダメなの?でもその時はあまり深く考えませんでした。その後も毎月誰かのお誕生日会の時にその歌は歌われました。


月日は流れ、他のお母さん方とも仲良くなり、お互い悩みを話し合ったりセンターの先生の話を聞いているうちに、私は徐々に息子の障害を受け入れることが出来てきました。


そして自閉症との診断を改めて受けた日、「やっぱりそうですよね」とすんなり受け入れることが出来ました。

家に帰って少し泣きました。

いつか普通に喋り出すかもしれない、という私の淡い期待は消え去りました。それでも今まで可愛いと思って育てて来た息子への気持ちは変わらず、この子のために出来るだけのことをしようと心に決めました。


そんな中、療育センターで息子のお誕生日会が開かれました。


「おめでとうハッピー

ありがとうラッキー

〇〇くんの生まれた日

素敵な誕生日」


息子の障害を受け入れた後に聞くその歌は、単なる替え歌ではなくまるで違ったものに聞こえました。


「どんな障害を持っていようと、あなたが生まれて来てくれたことが嬉しい」


「どんな障害を持っていようと、お母さんたちのもとに生まれて来たこと、そして心から誕生日を祝ってもらえることは幸せ」


「息子がこの世に生を受けた日、今まで親子で歩んで来た道、そしてこれから歩んで行く道、正真正銘の素晴らしい日々」


私にはそんな風に聞こえて涙が止まらなくなりました。

短い短いハッピーバースデーの替え歌に、こんな深い意味があったなんてと思えた瞬間でした。


あれから16年経ち、今息子は20歳の青年になりました。悩みは尽きないものの今は作業所に通い毎日楽しそうにしています。


私たちの歩んで来た道、そしてまたこれから歩んで行く道は決して平坦な道ではありませんが、時折あのハッピーバースデーの替え歌を思い出してこれからも一歩一歩息子と歩んで行きます。



うちの話

うちには知的障害を伴う自閉症の息子と、未診断ですがおそらく発達障害の娘がいます。


現在、これらの障害は家系的に発生するということが明らかになっています。


私の息子が自閉症と診断された後、義理の叔母から「そういえば」という話を聞かされました。


私がまだ幼い頃に亡くなった叔母が季節の変わり目には調子が悪くなって「狐付き」だと言われてよくお払いに連れて行かれていたと。話をよく聞くと叔母には発達障害と軽度知的障害の特性があったようでした。


その後夫に「ごめんね、うちの家系みたいだわ」と謝ったところ、夫に叱られました。そんなことを言うもんじゃない!と。そんなこと(親戚に障害者がいる)で結婚を躊躇う程度なら最初から結婚していない、と。


不器用で気の利いたことは一切言えない夫の、最高に気の利いた言葉だったかもしれません。


でも娘たちがいつか結婚を考えた時、息子のことが大きな十字架になることは確かです。それについても夫は「それで結婚を躊躇う相手なら最初から結婚をしない方が良い」と言っています。


世の中あなたみたいな人ばかりではないのよ〜。( ´Д`)

というかあなたが希少な人種。


私も兄弟姉妹に自閉症の人間がいて遺伝すると分かっていたら結婚も子どもを産むことも躊躇っていたかもしれません。


でも今は落ち着いて幸せな家庭を築いています。息子のことがいつか娘たちの結婚、出産の障壁になるだろうな、という心配以外は。


夫の言葉を聞いた時、世の中どれくらいこんな考えの人がいるのだろうと思いました。大学生の長女は「結婚するならお父さんみたいな人が良いな」とも言っています。


なぜこの人が私(なんか)と結婚したのか謎。結婚生活は幸せなことばかりではありませんでしたが、かえって絆が深まったと思います。


私は持病もあり夫より早く死ぬと思いますが、もしも2人がよぼよぼになるまで長生きをして、私が夫より長生きをするとしたら、喜んで夫のオムツを変えようと思っています。(^-^)v